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2月6日
おっさんです。
ずっと困っていた事がある。
実はそのためにフィリピンの話の続きがかけないでいたのだ。
ボラカイを出てしばらくすると俺はドゥマゲッティーと言うネグロス島の都で
『ランプライター』と言う宿に泊まる事になる。
そこである人物に会うのだがその人が問題だったのだ。
その人の名は『ファーザー・トロパ』
以前写真入で紹介した人物なのだが、、、(以前の文章以下に)
フィリピンで出会ったファーザー・トロパが、その人だ。
かつてアメリカで兵隊としてたくさんの人を殺してきたことに考えが変わり、
平和な世界を創ろうと活動していた。
はじめてあった時、俺は「カメハメハ大王」は、こんな人だったのではないかと思うほど、
裸足に腰巻姿の変な格好の人だった。
後で知ったことなのだが、ファーザーはフィリピンでは有名な人で、数年前に
亡くなった時には、新聞にも載ったそうで、
その頃、フィリピン大学に留学していた友人が、彼の訃報を知らせてくれた。
ご冥福を祈ります。
おっさんのサイトの中で、彼の出番が近づいてきたことで
おっさんは彼のことを知ろうと、ネット中を探し始めたのだ。
しかし、僅かな英文の記録しか探せず、はたまたもう一人の『ファーザー・トロパ』がいて、
2000年を期に新たな活動を始めている事も分かった。
写真を見ると、親子のようにも見えるのだ。
そうなると、話は変わってくるのだ。
当時のおっさんの英語力と理解力、旅の途中の出会いだけだと言う
安易な付き合いの中でのおっさんの観察力で、彼を語ってはいけないのではないか。
そんな事を思ってしまうのだ。
彼の信者や崇拝者、考えに賛同する人達への配慮も必要なはずだ。
そんな事を考えたり、考えるのを停止していたために実はサイトの長い空白を
つくっていたのだが、、、。
しかし、判らない事は判らないので、自分の感じた事だけを誠実に書いていこうと
思うことにした。
間違いや思い込みが多くある文章であるかも知れません、その時はお許しください。
また、『ファーザー・トロパ』の事をご存知の人は、是非教えてくださればと思います。
次回からは、フィリピンの話の続きを始めましょうか。
長いインターバルへの言い訳でした。
2月2日
おっさんです。
新年になってからすでにひと月を過ぎてしまいました。
月日の経つ速さを思うと、寿命がいくらあっても、短いように感じてしまう。
クリスマスプレゼントで娘にと遠い友人から『スタジオジブリの歌』のCDが届いた。
パソコンに取り込まれたそれを聞いているうちにそんな気分になった。
『紅の豚』エンディング曲『時には昔の話を』(加藤登紀子)がその歌だ。
『紅の豚』を見た当時、ダンディな大人の世界に憧れのような気持ちを感じたものだ。
おっさんになってしまった今になると、その歌詞の響きが違ってくる。
http://www.jtw.zaq.ne.jp/animesong/ku/kurenai/tokiniwa.html (歌詞)
学生時代のあいつはどうしているだろうか?
旅先で出会ったあいつはどうしているのだろうか?
そんな時に昨日一枚のはがきが届いた。
6月17日からのインド・プーリーの話に出てくるAさん夫婦からだ。
定年を迎え、昨年の6月から20年ぶりの旅をし、1月の終わりに帰国した便りだった。
東南アジア、中国を周ってきた元気な便りだった。
おっさんは、とても嬉しい気持ちになった。
今、パソコンに向かいながらAさん夫婦に笑顔を送っている。
1992年インド、プーリー
右にいるのがおっさんととど。
Aさん夫婦とおっさん達にはさまれた彼は確か役者志望の青年だった。
彼はどうしているのだろうか?
1月18日
更新が遅くなり、数少ない読者にも迷惑をかけています。
おっさんです。
おっさんの初夢は、人生の希望と言うものでした。
その中でのおっさんは、作家になり悠々自適に世界を旅しながらコラムを書いて
生活をしていました。
それが現実になるように頑張りたいと思っています。
昨日も何人かの来訪者が会ったので、
このサイトは終わっていませんよと言う意思表示でした。
こまめに頑張りたいのですが。
いつも同じような言い訳ですいません。
2010年1月1日(元旦)
あけましておめでとうございます
昔の写真の中からめでたそうなものを選んでみました。
とくにいみはありません。
20年位前のバルセロナの市場の写真です。
A happy new year
長い長いインターバルをあけて再び…おっさんです。
今年もよろしくお願いします!
私も寅年で年男と言う事で48歳になってしまうのですが、
そんなに年を取った記憶がありません。
年の瀬から昔を思い出して髭など伸ばしてみたのですが
髭のあちこちに白毛が混ざってしまっています。
いつの間にやら年を取ってしまったようです。
浦島太郎伝説はこのような気持ちから生まれたものなのだろうかと
本気で思ってしまっています。
年を取るほどのには人間は成長しないものなのかもしれませんね。
オレだけか?
今日のおっさんの写真。
では、今年も良いお年を?
今年こそは良いお年を・・・
11月19日
またまた長いブランクのおっさんです。
この長いブランクの間、こつこつと娘はまめに更新を続け、
「お父さん達、さぼりすぎ」と怒られながら、さぼっていました。
何をしていたかと言うと、『ニコニコ動画』なるものにはまっていました。
一度入ってしまうと、凝り性におちいってしまう性格がさぼりの原因です。
さてブランクの間もいろいろなことがありました。
ニューヨークヤンキーズの松井の活躍。
家族でのカラオケ。
『This is IT 』の映画鑑賞。
ボクシングのパッキャオの5階級制覇。
久しぶりの本格インドカレーレストランでの食事。
それぞれに関して、コメントを添えて書きたかったのですが、
時間が経つとその感動も色あせてくるもので、
今となっては、全部含めて『素晴らしかった』とだけ書いておきます。
『ニコニコ動画』も一通り見て、落ち着いてきましたので、
また、地味に更新を続けて生きたいと思っています。
しかし、今月末には『テレ朝シナリオ大賞』の締め切るが迫っています。
頭の中でのストーリーが未だ完成しないまま。
間に合うのでしょうか?
プロでもないのに締め切り間際の魔術師として頑張らなければなりません。
さて、どんな作品になるか。
そんなこんなの近況報告でした。
10月21日
おっさんです。
ブログを始めた娘は、なんと親に似ず毎日更新している。
世代なのか、軽い感じの手馴れた感じはなんとも言えず心地よい。
親バカなのか?
娘は友人にも紹介しながら、便乗しておっさんのサイトも来客数が増えている。
それはそれとして、旅の話を書こうと過去を見てみると、
フィリピンの話の最後が7月9日。
3ヵ月半も空いている事に驚かされる。
フィリピン、ボラカイ島の話。
夜のボラカイ島は、ビーチ沿いにバーやディスコが乱立し、大きなスピーカーからは
派手な音楽や妙な音楽が鳴り響いていた。
まともな電気が無いこの島では、夜になるとやることがなくなるのだ。
俺の宿は夜になるとランプの生活になるからだ。
自家発電機の回る音がいたるところから聞こえてくる。
特に酒が好きでもなく(今ではほとんど飲まない)、女漁りをする気もなかった俺は、
散歩をし、道端のベンチに座ってはコーラを飲みながら道行く人を眺めていたりした。
しかし、ゆっくりしているのは一時間も無い。
必ずといっていいほどこの兄弟に捕まった。
右のよく観れば鈴木雅之似の長男と左端のメキシコのヒモのような次男は、若い性を
たぎらせた野獣だった。
金の無い彼らは、俺にたかってディスコに行くと、(ビール一杯で入れた)若い西洋の観光客に
声をかけまくり、消えていった。
時折、俺の前に現れては「キスしてきた」とか「殴られそうになった」とか「明日のデートの約束をした」
とかの報告にやってきた。
どこまでが真実なのか分からないが、彼らはとても楽しんでいるように思えた。
次男はナンパが上手で、口も上手いのだが、長男は下手だった。
二人ずれの女の子を兄弟でナンパして、自慢にやって来たことがある。
大柄のドイツ人の女の子達だった。
「これから彼女達の部屋に行くんだ」
彼らの目はすでに血走り、その後の期待に胸を膨らませていたのだろう。
自慢気に彼らは去っていった。
ブラブラして、ゆっくりと部屋に戻ると、すでに彼らは戻っていた。
ママが用意してくれたランプの灯の前で、しょんぼりしていた。
「ビール飲んで、お話して、帰された」
長男が言った。
「何も無かったのか?」
俺の言葉に二人はただうなずいた。
夜はこれでは終らないのだ。
彼らは、そこから立ち直ろうと、本当か嘘かのこれまでの武勇伝が始まるのだ。
そのうちに彼女がいて実は一番経験豊富ではないかと思われる三男も参加してくる。
暗いバンガローの部屋の前の椅子に座り、ママに叱られるまで
男四人でエロい話に花を咲かせるのであった。
10月16日
おっさんです。
娘は、他の人のブログを見ているせいか、頻繁に更新するのが当たり前のように
思っているらしく、今日も更新したので、おっさんも負けてはいられないのだ。
先日来、youtubuのある事に興味を持ち、かなりの時間を費やした。
『911、アメリカ航空機自爆テロの陰謀』のことだ。
このテロ行為こそ、アメリカの自作自演の戦争肯定へのプログラムだったと言う主旨のものだ。
軽々しく、同意も否定も出来ないのだが、なるほど確かに疑わしい。
ビルの崩壊の速度や政府発表のレポートの疑問が、科学的に検証され、限りなく黒になっている。
戦争を起こしたい者達の影を追うことによって、国家レベルの巨大な陰謀を検証している。
http://www.youtube.com/watch?v=3vfouhgEUY4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=1IzjU2zaV48(世界で一番受けたい授業)
http://www.youtube.com/watch?v=SPAL2jc8zQs&feature=fvw
http://www.youtube.com/watch?v=E8NcRIT_XF4&feature=related
これらに挙げた作品の周辺を見てもまだまだたくさんの動画がある。
興味のある方は見てみてください。
その中に、民間放送で放映された『世界で一番受けたい授業』(2番目の動画)をみると、
いかにして戦争が始まるのかが理解できる。
かつて幼い頃、戦争の始まりが、ちょっとした出来事であったことがとても不思議だった。
こんな事で、あんな大きな戦争が起きたのかと驚かされた。
しかし、すべては情報からはじまり、広がっていく。
恐怖の種をまけば、恐怖の芽が出、喜びの種をまけば、喜びの芽が出るのだ。
それを政府や世界を司るものが、動かせば本当に恐ろしいことになるのだ。
私達は、自分だけでも冷静になる必要がある。
そんな事を思っていた矢先に『オバマ大統領のノーベル平和賞受賞』のニュースが入ってきた。
まだ、何もやっていないのに?
政治的な匂いのする中で、凄い違和感を感じてならなかった。
でも、あるコメンテーターが言っていた。
「その事を言質にして、世界平和の中心にオバマ大統領を置くことも大切だ」と。
そうなってもらえれば、ノーベル平和賞の意義もあるのかもしれない。
実は、中国のウイグル人の暴動も、隠されているシンセンでのウイグル人大量虐殺があったための
リアクションだったことが分かった。
しかし、中国政府は真実を黙殺している。
先日、北朝鮮がまたミサイルを撃った。サリンの存在も匂わしてきているようだ。
こんな世の中に、日本の防衛は大丈夫だろうかと思ってしまうおっさんだった。
旅の話が全然出てきませんので、次回は旅のそうフィリピンの話の続きでも書いてみようと
思っています。
10月15日
おっさんです。
今日、とうとう、娘の花もネットデビューです。
左のメニュー下の『とど花』をクリックすると、とどのページへ。
とどのページの上のトップの横に『花ちゃんの部屋』があります。
中一の若い感性をどのように表現していくのか楽しみです。
今日は、報告と、とうとう家族のサイトになってしまったことの宣言です。
おっさんのサイトもひょっとして若い世代も見に来るのなら、
ちょっとまずいものは消しておく必要があるかもしれませんが、そのままにしておきましょう。
だから、若者達よ。
おっさんの奇行を責めないで。
できるだけ、ありのままで頑張りたいと思っています。
娘には無断で特別デビュー記念写真。
こぶたちゃんじゃあありませんよ。愛する娘さんです。
10月14日
おっさんです。
先日、久しぶりにひとりで映画を見に行った。
『20世紀少年』だ。
漫画とは違ったストーリーだったが、わりと楽しめた。
安直になり過ぎたストーリー展開と分かりやす過ぎることいろいろ言いたいことはあるが。
かつて、映画青年だった頃、今は少なくなった名画座に毎週末のように出かけた事を思い出した。
いつも、ひとりで見に行った。
そうするものだと思っていた。
汚く硬い椅子に何度も尻の位置を変えながら、2本3本とたて続けに見たものだった。
昼前に入った映画館も出るときにはすっかり日も暮れていて、一日を映画だけに費やせた。
最近は、完全入れ替え制なんてものになってしまってつまらない。
あのシーンを見たい。
それだけのために、何時間も待ったりしたことを懐かしく思う。
同じような奴が、遠く離れた席に点々と座っていて、休憩時間には黙ってロビーでタバコを吸った。
お互いに「お前はこの映画をどう思ったんだ?」そんな事を思っても口にはしなかった。
それでも、違う映画館で何度も顔を合わせるうちに、目で挨拶くらいはする奴らがいた。
旅をして、子供ができ、ビデオが氾濫し始めると、映画館は遠いものになっていった。
俺もおっさんになり、彼らもおっさんになっているんだろう。
こんな綺麗な映画館でフカフカの椅子の上、アベックや家族に囲まれながら、
彼らも映画を観ているのだろうか。
ただ、それだけのことなのだが、ふと思い出していた。
『ATG』 『日活ロマンポルノ』
そう、あの時代だ。
10月6日
おっさんです。
今回書いたシナリオの話。
おっさんは、自画自賛ながら自作の『おりんぴっく』が大好きなのです。
何か、公募がある度にどうにかこの作品を公に出せないものか、
あるいは、手直しして知らん振りしてまた出してみようか。
そんな事を思ってしまうのだ。
そんな事を思っていると、天の声が聞こえてきた。
どんどん、続編のようなものを書いて、それがどっかで賞を撮れば、
その時に、「こんな作品もありまっせぇ」と出せるではないか。
そうだ、そうだ。と心の声が言う。
何の賞も取った事の無いおっさんの密かな妄想がはじまり、
ニヤニヤしながら応募したのでした。
つまり、書き出しは、すでにヒーローになってしまった主人公から始まるのだ。
すでに、おっさんの中では夢が現実となる妄想が動き始めている。
先日の日曜日、久々に娘と遊んだ。
久々というのは、中学に入ると世間の目や自覚に目覚め、はたまた部活動もあって、
今までのような遊びを一緒にしてくれなくなってしまった。
親としては、悲しいやら、成長を恨むやらでという気持ちだ。
去年まで、あんなに海に行きたがった娘は、言い出しもせず。
誘ったところで、断れる始末。
48歳にして海大好きなとど(妻)は不満そうではあったが、
結局、今年の夏は一度も海に行くことも無く、終ってしまった。
話は戻って日曜日。
いつものようにダラダラと過ごしているのが嫌になっておっさんは動き出した。
そうなると、娘も付いてくると言い出したので、二人でバイクの二人乗り。
そう言えば、かつて娘はバイクの後ろに乗るのが大好きで、
何の目的も無くよく走ったものだった。
あまりに遠出しすぎて疲れ果てた娘がバイクの後ろで寝てしまい、
左手で支えながら帰ってきたこともあった。
いざ出かけようとすると、雨が降ってきた。
小降りだった事もあって、近くの図書館へ行き、本とCDを借りて帰ろうとすると、
変えるのは嫌だという。
ちょっと繁華街を歩き、古本屋へ。
雨が止んだ事もあって遠くの古本屋まで足を延ばした。
漫画家を目指す娘は、漫画を買いながら嬉しそうにしていた。
店を出ると、外はどしゃ降りの雨。
カッパもあったが、すでにちょっと濡れていたので、そのままバイクを走らせた。
身体はすぐにびしょ濡れ、突き刺さる雨に顔が痛いのなんのと騒いでるうちに
だんだんハイになってくる。
気持ち良くなってきて滑走する雨の中のバイク。
と、思った瞬間に雨が小降りになり、後ろの娘は眠りそうに揺らぎ始めた。
それでも、無事家に戻ると、何だかおっさんには遊んだ感で満足していた。
夜、すべての家事を終えたとどが、風呂に向かった。
しばらくして、風呂場からとどの悲鳴が聞こえた。
行ってみると、とどは洗面台の水を止め忘れ、そこらじゅうを水浸しにしていた。
夜遅くから、娘も入れて三人で水浸しの床を掃除し始めた。
あまりに馬鹿げた失敗に、娘は興奮し笑い始めた。
笑いながら、おっさんは思った。
ひょっとして、海に行けなかったとどの密かな水遊びだったのではないかと。
あまり良く分からないが、多いところで1cm位水が溜まっていた。
シャツや雑巾を投げて水を吸わせている。こんな写真しかないのが残念。
10月5日
長らくのご無沙汰、大変すいませんでした。
おっさんです。
サボっていたわけなのですが、ただサボっていた訳ではありません。
『wowowシナリオ大賞』に応募する作品を書いていました。
仕事をちょっと頑張っていました。(成果は少なかったが、、、)
そうなると、眠くなる時間も早くなってしまって、サボっていた訳なのです。
昨日の日曜日には、久しぶりに娘と遊び、面白い事がありましたが、
その事は、明日また書きたいと思っています。
今日は、この長いブランクにも来訪された人達にお詫びの言葉を述べるに留めておきます。
どうもすいませんでした。
これからは豆に更新していきますので、見捨てることなくよろしくお願いします。
9月9日
本当にお久しぶりのおっさんです。
これから言い訳をしますが、聞き流してください。
ある日、仕事から帰ってくると、パソコンのイスが壊れていました。
何かと行き詰ると、パソコンの前でクルクルと回ってはいたのですが、
なんせ体重が107kgもあるおっさんなものだから、イスも悲鳴を上げていたらしい。
娘は娘でおっさんの相似形のような体格をしてパソコンで遊んでいたところ、
いきなりイスの足がバキンと折れたそうなのだ。
自分のことは棚に上げて、娘のせいにしていたのだが、代わりに使っていたパイプイスが
異常にフィットしないのだ。
微妙な高さのズレがしばらく座っていると、腰が痛くなってしまうのだ。
一通りパソコンで遊んでから、さて更新でもするかと思ったころにはヘルニヤの腰が嫌がった。
そんな日々が続き今日に至ってしまったということなのです。
先日の日曜日にやっと代わりのくるくる回るイスを手に入れ、クルクルしながら更新している。
長いブランクすいませんでした。
長いブランクの間に政権は換わり、新しい時代の夜明けを告げているのだろうか。
なんとなく閉塞感を感じている時代を変えることができるのでしょうか?
気長に期待したいと思っています。
おっさんは、最近本当におっさんになってきたようだ。
家では、パンツとTシャツですごしていたのだが、最近ではそのTシャツさえも着なくなってきた。
その代わりに首からタオルを下げて家中をウロウロしはじめたのだ。
暑いのだからしょうがない。
しかし、ちょっと前までは、裸よりTシャツを着たほうが涼しく感じていたのだが、不思議だ。
妻は、それをおっさん化現象というのだ。
そういえば、昔旅していた頃、東南アジアの安宿の親父は、決まって半ズボンにランニングシャツ。
それが夜になると、半ズボンだけになっていた。
タオルを首からかけた親父が、10時を過ぎる頃、部屋から簡易ベッドを引きずり出して
風通しの良い外で寝るのだ。
安宿の薄い壁の向こうで、大いびきをかき、尻を掻き、時折蚊をたたく音がした。
朝起きると、蚊取り線香の煙で充満する部屋の窓を開けると、
もう、親父はフロントの長いすへと寝場所を変えていた。
そんな親父におっさんも近づいてきたのだろうか。
そう、今日風呂に入ると、おっさんの胸毛に白いものが混じっていた。
とほほ、、、。
8月14日
おっさんです。
娘のテニスの試合のことを書こうと思ったら、すでにとどが書いていた。
でも、関係なくおっさんも書くのであった。
おっさんは、部活動なんてものはやったことがない。
そのせいで、先輩後輩の付き合いもほとんどないのだ。
最近、娘の話の中で○○先輩とか言う言葉を聞くたびに娘の成長を感じてしまうのだった。
1年生大会とはいえ、娘の初めての公式試合は、凄いものだった。
元来、運動には無縁だった娘は、練習試合でも勝ったことがない。
そのため、「どうせ負けるよ。」と言って出かけていった。
会場に着くと、すごいレベルの低さに驚く。
おっさんは、スポーツ万能だった。
(年をとり、ほとんどスポーツをしなくなった今だからこそ高らかにいえるのだが、、、。)
硬式テニスなんて見るのはほとんどが4大大会のプロテニスだ。
しかし、目の前で繰り広げられているテニスは、おっさんの知っているテニスではなかった。
考えてみればそうなのだ。
中学生の体では、それも一年生の体では硬式はむずかしい。
見ていても、まともにラケットを振り回せる生徒はあまりいなかった。
伊達公子も杉山もシャラポアだってここから始めていったのだ。
長く待たされた後、とうとう娘の試合が始まった。
緊張の面持ちでコートに立っていた。4ゲーム先取での決着だ。
几帳面な性格の娘は、ラケットを体の前で構えてボールを待った。
しかし、その構えを崩さないままで2ゲームを先取した。
ダブルスパートナーの子がサーブを入れるとそれで点が入り、
相手のチームはサーブも入らなかったのだ。
いよいよ娘がサーブの出番だ。
動く娘が見られるのだ。
サーブが入らないまま2点を取られ、やっとサーブが入るとサービスエース(?)になった。
調子に乗った娘は、再びサーブを入れた。
決まったかと思ったところ、偶然のようにレシーブされた山なりの玉が娘のもとへ戻ってきた。
驚いた娘は、大きく弾んだボールを空へ向かって打ちつけたがネットを越えることは出来なかった。
その後、サーブミスでゲームを失ってしまった。
サーブが終わると、娘はまたあの几帳面なホームで動くことはなかった。
試合は、3−1で最終ゲームを迎えた。
そこで、やっと娘が動いた。
珍しくレシーブされたボールが娘の前に飛んできた。
娘がラケットを出すと、ボールは相手コートに落ちて得点をとった。
初めての活躍のシーンに娘は小さく弾んで喜んでいた。
おっさんもとども喜んでいた。
そして、娘達のチームは初めての勝利を収めたのだった。
娘は、嬉しそうに自慢そうにおっさん達の前を過ぎていった。
その試合の後、おっさんは仕事に行ってしまったのでその後のことは知らない。
夕方、メールで娘が勝ち進んだことを知らされた。
仕事から戻ると、娘は興奮していた。
2試合目のすごいいい試合のこと、ボレーを決めたこと、自分の活躍のことを話してきた。
その姿は嬉しそうで、そして逞しくなっていた。
「あと何回勝てば優勝なの?」と言うおっさんの質問に
「わからないけど、今ベスト32だから、べスト8位になれたらなあ」と返事が返ってきた。
どうせ勝てないよって言っていたことを考えるとすごい成長だ。
あんな低レベルの試合に意味があるのかと思った自分が恥ずかしい。
あんな試合でも、試合として成立させてあげることが大切だったのだ。
勝った者は自身をつけ成長し、負けた者は次の試合の糧を得る。
そういうことだったのだ。
「今日の相手は、とても強かったけど、頑張って2ゲームとったんだよ」
娘は、ベスト32で試合を終えたが、なにかとてもすばらしいものを手に入れていた。
こんな子達がいつか成長してウィンブルドンのコートに立つのだろう。
激戦のあと
8月12日
おっさんです。
ちょっと、you tubuにはまっていたら、時がたってしまった。
それでも、更新されないサイトを除いてくれた人がいたようですいませんでした。
何にはまっていたかというと、地球温暖化のいろんな意見でした。
以前から、国際関係や排出量取引など、エコに関する動きがおかしいように思えてならなかった。
地球の一大事のように言いながら、出てくる内容は、二酸化炭素の排出権を金でやり取りする
ような話や先進国vs後進国の利害争いなどのはなし。
その結果、どのくらい効果があるかといえば、ほとんど無に近いような効果ばかりのはなし。
やる気があるのかないのか。
人類滅亡の危機に向かう態度ではないことが、いやに気にかかっていた。
地球温暖化はうそだ!
そんな意見を言う学者がいたが、世間の扱いは冷ややかなものだった。
洞爺湖サミットでは、なかなか進まない対策にマスコミは罵声を浴びせていた。
国益ばかりを主張する国々に、おっさん自身も呆れていた。
でも、今回のyou tubuの放浪で解ったような気がする。
誰も本気ではないのかもしれない。
偉い人たちは、二酸化炭素がその原因ではないことを知っているのかもしれない。
ここ数年におきているさまざまな気象現象に慄き、二酸化炭素を悪者にすることによって安心し、
その上、それを金儲けに使おうとしているかのように見えてくる。
誰も知らないことを断言できはしないが、結論から見えてきたものはそんなところだった。
イギリスBBC 地球温暖化詐欺
http://www.youtube.com/watch?v=VYlkpClOevA&feature=related
アメリカCNN 地球温暖化詐欺
http://www.youtube.com/watch?v=2FBgKQXWesc&feature=related
日本 博士の知らない日本のウラ(これが気楽に見れます)
http://www.youtube.com/watch?v=wvpcOmTZo5w
興味のある方は見てみてください。
なんだかおっさんも社会派の様相を呈してきましたなあ。
7月29日
おっさんです。
ここ数日書きたいことはあったのになぜか書けずにいました。
今日はそのことを書いてみたいと思っています。
皆既日食の日に録画していた朝日ニュースターの「週間鉄学」と言う武田鉄矢の番組を見た。
タイムリーなことにテーマは「月周回探索衛星 かぐや」だった。
月から見る地球は、漆黒の宇宙の闇の中で青々と輝き美しいものだった。
しかし、おっさんの興味を抱いたのは、地球が太陽と月の間に入る「皆既地球食」だった。
考えてみれば、当然といえば当然のことで、
月と太陽と地球の関係からすれば当たり前のことなのだが、
おっさんにとっては考えもつかなかった宇宙からの発想だった。
だんだんと太陽を食べ始める地球は最後にはやはり「ダイヤモンドリング」をつくり、闇へなる。
番組では、連続写真の形で放送されていたが皆既日食と同じようだった。
「かぐやからの映像」と検索すると、さまざまな映像があった。
宇宙の神秘を感じながら、宇宙では頻繁に起こっていることを人間は感心し畏怖の念さえ感じる。
人間の小さな存在を改めて痛感させられた。
ふと、変なことを思う。
宇宙の中で、不思議に輝く地球は、なんだか砂漠の中のオアシスのように思える。
やっぱり、「宇宙人はいるな。」
そんなことをなぜか実感してしまった。
25日から26日にかけて「26時間テレビ」が放映された。
中学生になった娘が2週間前から、全部見るのだと気合を入れだした。
当日の昼には、お菓子や飲み物をかい出しに行き、それを広げて番組の始まりを待った。
娘にとっては、夏休みのほとんどは部活動だ。
その中で、夏休みの大イベントのようだった。
嬉々として、自分の中の盛り上がりを身体中から発散していた。
おっさんも、そんなころがあったなあなどと思いながら、その日のテレビをあきらめた。
さて、番組ははじまり、娘はうれしそうにテレビのまでお菓子を食べていた。
夕食も終わり、おっさんがパソコン部屋に篭り、12時過ぎに出てくると、
興味ないコーナーだったのか、眠そうな目になって必死にテレビを見ていた。
おっさんが現れると、いくらか元気が出たらしく、楽しそうに番組の事を話し始めた。
2時を回ったころ、「さて、おっさんの更新でもしてこようかな」と立ち上がろうとすると
娘が制止した。
「お父さんがいなくなると寝てしまうからいっしょにいて」と言うのだ。
隣の部屋では、かなり前からとどは大いびきの夢の中。
娘のイベントに協力することにしておっさんは更新をあきらめた。
番組も深夜になると、エッチな話が時折入ってくる。
そんな話が入ってくると、娘は極力おっさんの視線を気にするかのように無視する。
その感じがおっさんには面白く気にするそぶりもなく観察していたりした。
テレビを見る娘を後ろから撮影。おっさんの足だけ参加。
3時を前にするころ、娘の睡魔が頂点に達した。
「お父さん、このコーナーが終わったらビデオとってまた6時間後に起きようね。」
娘は言い訳なのか、計画なのか、独り言のようにそう言うと、ビデオと目覚ましの準備をした。
少し動いたからか、娘はまた元気になってしまった。
そのコーナーが終わっても寝る様子もなくなっていた。
「お父さん、なんだか私ハイになってきたみたい」娘はまた独り言のように言うと、
画板と夏休みの宿題を持ち出してきて、テレビを見ながら宿題を始めた。
興味のないコーナーだと夏休みの宿題をする娘。
4時を回ると、おっさんのほうが眠気に耐えられなくなってきた。
ビデオをセットして、電気を消して、テレビをお休みタイマーにすると、
今まで笑っていたはずの娘は、すでに眠りの中にいた。
翌日、昼ごろ起きると、娘はお菓子を手にテレビを見ていた。
無事、娘のイベントは完遂し、みごとに娘は26時間テレビを涙とともに見終え満足そうだった。
しかし、ビデオに撮った6時間はいまだに見られていないのだった。
26日、待ちに待ったアメリカゴルフツアーの優勝を宮里藍がもぎ取った。
長いブランクの末の快挙だった。
若い後輩たちが活躍する中、忘れられそうになった女王は本当に成長していた。
最後のパットを沈め、涙を帽子のつばで隠した姿は、とてもかっこよくおっさんには映った。
大人になったプロの宮里藍がそこにはいた。
あまりにも早く有名になった彼女はまだ24歳。
これからどんな選手になっていくのか、楽しみにしたいと思う。
大宇宙の中、この青い地球の片隅では、テレビやらゴルフやらなんとためにならないことで
われわれ人間は、心動かされたり、必死になったりしている。
宇宙人は、こんな人類をどのように見ているのだろうか。
同じように感動してくれていたら、いいのにね。
7月24日
おっさんです。
最近になって、このサイトも少しは人気が出てきたのでしょうか?
訪問者が増えてきているようで、大変喜んでいます。
ありがとうございます。
今日は気合を入れて書こうかと思っていましたが、
先日話したポプラ社に落選した作品をチェックして掲載するのに手間取りクタクタに
なってしまいました。
どうにか、忘れていた作業を無事終えましたので連絡までとしておきます。
『あの日、プークラダンで』を作品中にアップしましたので、読んでくださいね。
7月9日
おっさんです。
最近、このサイトへの来訪者が少ないので、サボっていたら昨日は7人も来ていた。
驚きと喜びの気持ちで更新します。
最近の出来事としては、ポプラ社の賞に参加した作品が二次選考にも進まず落選です。
残念ですが、何か引き付ける物がないのでしょう。
根本的に考えてみなければならないかもしれません。
ポプラ社の拘束から外れたこともありますので、近いうちにアップしますので読んでみて下さい。
久しぶりにフィリピンの話の続きをします。
ボラカイでの生活は快適なものだった。
朝食を終えると、島の探索をしながら散歩をし、陽射しに負けかけた頃に宿に戻っては
手紙を書いたり、本を読んだり、空想やこれからの計画を考えた。
たいていの場合、そのまま昼寝してしまっているのだが、開けっ放しのバンガローの
涼やかな風と揺れるやしの木の穏やかな中にいた。
昼飯時には、決まって末っ子の女の子『クレア』が呼びに来た。
クレアは、まだ5,6歳だったと思う。
昼間忙しく働いている大人・兄弟のため、昼飯を終わると、クレアはよく俺にくっついていた。
もちろん、俺が現地語を話せる訳でもなく、クレアが英語を話せる訳でもない。
お互いに名前を呼ぶ他は、勝手に日本語と現地語を使って騒いでいるだけなのだ。
それでも結構コミュニケーションはとれるものだった。
昼食後、俺は敷物と本を持ってビーチに行く。
1988年、ボラカイ。本当に綺麗な白い細かい砂のビーチだった。
クレアがあわてて追いかけてくる。
いつもの木陰で横になると、クレアは存在を示すように俺の顔の上から満面の笑みを見せる。
俺が笑顔を返すと、クレアはどこかへいなくなる。
しばらくウダウダとした後、泳ごうと立ち上がると、クレアがどこからか現れる。
どこまでも遠浅のビーチ。
強い陽射しに打たれながら、ダラダラと沖へ向かう。
俺の後ろを服のまま嬉しそうに飛び跳ねながら奇声を上げて着いてくるクレア。
やっと水が腰の辺りのところまで来ると、俺は倒れこむように仰向けに浮かぶ。
青い空と白い雲の綺麗なコントラストをながめていると、クレアの水掛攻撃が始まる。
俺も応戦したり、クレアを投げたり、騒がしい時が過ぎる。
しばらくすると、突然クレアがいなくなる。
溺れたのかとあわてて探すと、宿の前でママに抱かれているクレアが見える。
安心してまた浮かんでいると、クレアの攻撃が始まる。
そんなことを二三度繰り返した後、宿に戻る。
よく見ると、ペアルックだ。
俺の部屋には、ベッドが二つあった。
シャワーを浴びると、すでにもうひとつのベッドでクレアが絵本をながめている。
俺は俺で勝手に音楽を聴いたり、地図を見たりしている。
時々、クレアの訳の分からない話を聞いてあげると、クレアは満足気に絵本へ戻る。
いつの間にか、クレアは眠ってしまっている。
クレアが寝た後、夕方の散歩に出る。
夕陽までの間、ブラブラとただただブラブラとすごす。
それが、ボラカイでの昼の生活だった。
夕陽は宿の椅子に座って眺めるのが、最高だった。
1988年、ボラカイ 部屋からの風景
6月30日
おっさんです。
子供の頃、親父やおじさん連中がニュースを見ているのが不思議だった。
もっと面白い番組はいくらでもあるのに「なんで?」と思っていた。
時間が来ると、チャンネルを奪うようにニュースを見ていた。
そうなると、子供達は寝る時間となり、すごすごと風呂や寝床に行ったものだった。
そう思っていたおっさんも、今ではニュースや政治番組が好きになってしまっている。
最近の混乱の中、どのような未来像を描いていくのか楽しみに見ていたりする。
どうも最近の政情は、まるで幕末の頃の状態に似ているような気がしてならない。
実際とはかけ離れた政治。
憂いて動き回る若者達。
新時代を予感しながら、どう伝えてよいのか分からないマスコミ。
黒船のような北朝鮮。
昨日、横須賀市長選で新人の吉田氏(33)が当選した。
現職の市長は、自民・民主の相乗りの推薦候補で小泉純一郎前総理の応援も受けていたのだが、
無名の無党派の若者が勝利した。
時代は、変革を愛し、旧体制を嫌ったのだ。
自民でも、民主でもない、今まで知らなかったような新時代がやってくる。
若い時代がやってくる。
今、私達の知らないところで、現代の竜馬や晋作、西郷等が走り回っているのだろうか?
おっさんは、そう期待している。
とどが、プーリーのコメントを残していたので、もう少し続けたい。
その頃のインドは、どこに行ってもカレー味の世界だった。
それがおっさんにはきつかった。
プーリーに『ミッキーレストラン』という店があった。
おっさん達の行きつけの店だった。
メニューは、旅行者が教えていったであろう多国籍料理、と言ってもそんな上等なものでもないが。
手に入る材料で、安価で作るため、味は大したことはないが、ケチャップやマヨネーズの
味だけでもカレー味じゃない喜びを感じられた。
とどは、オムライスがお気に入りで砂の混じったご飯をジャリジャリ言わせながら食べていたし、
おっさんは、目玉焼きだけが入ったエッグバーガーを食べていた。
二人とも、ケチャップをたっぷりつけることで幸せを感じていた。
店主のミッキー以外は、ほとんどが子供で店は成り立っていた。
汚い服に汚れた顔、くしゃくしゃな笑い顔で変な英語や日本語をしゃべる子供達。
テーブルを拭く雑巾のような布を肩にのせ、それでハエを叩き、汗を拭き、そして皿も拭く。
逞しくい子供達だった。
A奥さんが離れた場所でパン屋さんを見つけてきて、洒落た菓子パンを買ってきた。
行ってみると、大きなパン工場に隣接した店だった。
ショウケースの中には、クロワッサンや食パンの横に、幾つかの菓子パンが並んでいた。
俺は、砂糖でテカテカに光った菓子パンを買った。
帰り道、砂糖の粒がジャリジャリと残る雑なうまさを堪能しながらミッキーの店の裏を歩いていた。
壊れた壁の間から、店の子供達が食事をしていた。
壁に顔をつけて声をかけると、くしゃくしゃな笑顔を見せた。
食べているものを見て俺は手に持っている菓子パンを隠してしまった。
おかずはなく、パサパサになったご飯を水漬けにして食べていた。
ちょっとした後ろめたさの行動だったのだが、その行動に自分が腹立たしくなった。
そのせいか、俺は「うまいか?」と声をかけた。
彼等は、またくしゃくしゃな笑顔でうなずいていた。
1992年、ミッキーレストラン 夕食前の休憩時間
左がおっさんで、中央の黒っぽいTシャツがミッキーだ。
キャノンボード(?)とかいう指ではじくビリヤードのような遊びをしている。
6月23日
おっさんです。
本当に暑くなってきました。
体中が、ねっとりとしてきましたが、とどのクーラーの許しが11時以降なのがつらいです。
先日のガンダーラホテルのアドレスが、コピー&ペーストではネットに繋がりません。
URLにそのまま打ち込んだら、繋がるのだけれど、不思議なことです。
試してみた方はごめんなさい。
プーリーの話を続ける。
プーリーは、海辺の町なのに俺達には海の思い出がほとんどない。
なぜか?泳ぐ雰囲気がまるっきりないのだ。
時折訪れるインドの旅行客が水辺でサリーのままはしゃいでいるのを見るくらいだった。
あの太陽が大好きな西洋人でさえ、ビーチで陽に焼いている姿はほとんど見なかった。
原因は、荒れた海とインド人の生活習慣にあった。
貧しいインド人は、海をトイレ代わりに使っていた。
そのため、あちこちに出来立てのうんこや乾燥したうん子が落ちていた。
ビーチに座って、砂をいじった時にうんこが出てきて驚いたことがあった。
「げーっ」って叫んで走り出してうんこを踏んでしまった。
陽も落ちて暗くなると、ビーチは漁師達が残した魚を求めて野犬が集まりだす。
いいムードで散歩していたはずの俺達を野犬が取り囲んだ。
犬嫌いのとどが「ぎゃーっ」と叫んで走り出す。
宿に戻ると、足と草履はうんこだらけになってしまっていた。
そんなことまで思い出してしまった。
今は、海は綺麗になったのだろうか?
ビーチで優雅に本を読み、トロピカルジュースでも飲むようなところになっているのだろうか?
そんなことを思っているとまた思い出した。
誰が使ったのか(ほとんどのインド人は使わない)うんこの上にしりを拭いた紙がのっていた。
その紙が突風に吹かれて舞い上がった。
俺は、いつでもかわせるように身構えていると、嬉しそうに野犬がその紙に飛びついた。
「キャイーン」悲しそうな犬の泣き声が響いた。
うんこが鼻先についたのだろう、犬はあわてて鼻を砂にこすり付けては、海水で洗っていた。
そんなことを何度か繰り返した犬は、大きく鼻息を噴いた。
落ち着きを戻した犬は、しばらくじっとしていたが、また同じ動作を幾度となく繰り返していた。
そうとう臭かったのだろう。
それから、風が吹き、何かが宙に舞うのを見るたびに、ちょっとした恐怖を俺は感じていた。
6月17日
おっさんです。
雨降ってじとじととしてきました。
デブのおっさんも体中がじとじとと湿ってきました。
そんな中、ネットサーフィンをしていると、昔泊まったインドのプーリーの宿が立派なホテルに
変身してHPを持っていたのです。
http://www.hotelgandhara.com/default.htm (興味のある方はどうぞ)
プーリーには、日本人専用の宿のようなものがあり、駅でリキシャーに乗ると、すぐにその宿に
案内され一泊したのだが、どうも日本人しかいないという閉鎖的なムードは俺達には馴染めず、
翌日にガンダーラに移ったのだ。
何だか小さな洋館のような風変わりな宿の風情にひかれて、そのホテルガンダーラに泊まる
ことにしたのだが、オーナー婦人が日本人だった。
まだ、宿を始めて日が浅かったせいもあってか、住みよいわりには客も少なく、俺達にとっては
のんびりと過ごせるナイスなホテルだったのだ。
日差しが和らぐと屋上(と言っても平屋だったから屋根かもしれない)に置かれたベンチから
人の流れや動きを見るのが習慣のようになっていた。
のどが渇くとそこから、向かいのショップの小僧に大声でチャイやコーヒーをオーダーした。
確かサントスと言ったその小僧は、10歳にも満たないのに英語を堪能に話した。
少ない語彙を巧みに操りながら話す彼の英語には感心させられた。
ある日、彼が大きな声でくつろぐ俺達に声をかけてきた。
起き上がって、見下ろすと日本人夫婦が彼の店でチャイを飲んでいた。
Aさん夫婦との出会いだった。
旅に出る前に井戸掘りのバイトをしていたことを、サントスがAさん夫婦に言ったのだ。
Aさん夫婦には、世界を井戸を掘りながらうろついている風変わりな奴がいると伝わった。
面白そうな奴がいるじゃないかと、サントスに仲介してもらい俺達は親しくなった。
Aさん夫婦は、その頃の俺達からすると凄い旅の達人で、いろんな事を教えてくれた。
Aさんは、その行動力と押しの強さで、裏社会のことを。
A奥さんは、類稀な才能の持ち主で、どんな人の気持ちの中にでもすぐに入っていける人で
近所に住むインド人の交友関係から、恋愛事情、家族事情を握っていた。
そんな二人の旅行は、どこでもそんな調子で旅してきたいろんな地の事情をかなり
詳しく知っていた。
俺には、その話がとても面白くて本当に楽しい日々を過ごせたのだ。
本当なら、書きたいことはたくさんあるのだが、法律的に難しいこともあるので
控えることにするが、良いことも悪いこともたくさん教えてもらったのだ。
小さな『bamboo shop』の看板が見える。サントスの店だ。
この風景をいつも見ていた。
プーリーには、大きな祭りがある。ジャガナートがそれだ。
祭りが近づくにつれて、観光客も増え、町がにぎやかになってきた。
それにあわせるように、宿主のカルーは旅行代理店のような小さなチケット屋を宿の前に
作った。俺達の部屋のすぐ横だ。しかし、なかなか客は現れない。
時々目が逢うと、彼は、「ひまねえ〜」と両手を広げて日本語で言うのだった。
祭りが始まり、俺達も祭りに行ったのだが、あまりの混雑と宗教心に溢れた人々の
狂気にも似た行動に恐れおののき、早々に退散してきた。
ジャガナート祭り。
宿に戻ると、チケット屋に人がいた。それも人だかりだ。
商売繁盛かとのぞいて見ると、チケット屋に置かれたテレビに人だかりだったのだ。
俺達は、しばらくテレビを見て、部屋へと戻った。
夕方になり、人がいなくなると、俺はマドラスまでのチケットをカルーに頼んだ。
翌日、汽車のチケットと注意事項を嬉しげにカルーは俺達に伝えた。
夕方、俺達はやはり、屋上のベンチにいた。
宿の奥さんゆみさんがやってきた。
キュートで穏やかな人だった。(17年前のことですが)
「今度、ここにテーブルとイスを並べて、レストランでもやりたいと思っているの」
そんなことを言っていた。
俺達は、なんて言ったのだろう? 覚えていない。
でも、遠く、インドの地に嫁に来て、何だか大変そうな姿は見て取れていた。
人事ながら、大変な人生を選んだものだと、勝手に思っていた。
頑張って欲しいものだと、俺達は本当に思っていた。
翌日、出発の時、リキシャーを呼んでくれたカルーとゆみさんに見送られてプーリーを出た。
それから、17年、カルーとゆみさんは立派なホテルを作っていた。
6月12日
おっさんです。
大雨で仕事が中止になり、ぶつぶつと自分の人気のないサイトを見ていました。
フェーズ6クラスのパンデミック(世界的大流行)を起こさないまでも、
ちょっとは、このサイトを見てもらいたいものだと、考えていました。
我ながら、そんなにつまらない文でも無いように思うのだが、、、。
やはり、掲示板などでも行って、宣伝しなければならないのだろうか?
じゃあ、どこに行けばいいのだろうか?
そんなことを考えながらも、久しぶりに『作品集』の中の「おりんぴっく」を読み返してみた。
自画自賛である。
しかし、読みにくい掲載になっていることに気付き、少しは改善したつもりです。
やはり、作品は読んで欲しいし、感想も知りたいのが本音です。
忙しい中、文字を読むのは大変なことかもしれませんが、まだまだ少ない作品ですが、
読んで欲しいし、感想も欲しいのでよろしくお願いします。
実は現在も、2作ほど、コンテストに出しています。
賞からもれると、権利関係から外れるので、ここに掲載していきたいと思っています。
どんどん読んでくださいね。
今日はお願いでした。
1986年 インド カルカッタ(今はコルカタ) サルベーションアーミー(だと思う)
ドミトリーとはこんなもの。
もっとがちがちにベッドがくっついている所もある。
ベッドに立てかけてあるバックパックがかなりでかい。
6月10日
連日のおっさんです。
昨日も2人の来訪者があり、僅かでもこのおっさんの文章を読んでもらえることに
喜びを感じています。
ありがとうございます。
昨日、ピアノの世界大会で日本人の目の見えないピアニストが優勝しました。
ニュースで騒いでいるので、知っている人も多いかと思うのですが、
おっさんは、ニュースの中でメダルの授賞式の時プレゼンターのおじ様が、彼を抱きしめた
シーンがなぜか気になり、youtubeで彼の演奏を見直したのです。
http://www.youtube.com/watch?v=X9MlN-ZudKo
演奏後、彼は1分半の間、スタンディングオベーションを受けるのだが、その姿がチャーミングだ。
鳴り止まない拍手に術を知らない彼は、ただただ御辞儀をし笑顔を見せるのだ。
その姿が段々とおっさんをいたたまれない気持ちにさせた。
誰か早く彼を抱きしめてあげなよ。エスコートしてあげなよ。
『偉大な迷い子』
そんな気持ちになってくる。
説明できない気持ちだ。見てもらえば分かると思うが。
それで、あの受賞シーンが繋がった。
プレゼンターのおじ様もそんな気持ちだったのかもしれない。
おっさんはさらに彼の演奏を見てみた。
http://www.youtube.com/watch?v=bDtT5sSu5VQ&feature=related
おっさんは、ピアノのことは素人だ。何も分かっていない。
でも、ひとつ分かったことがある。
ピアノは格闘技だ。
彼の右手の動きを見ていると、あまりにも速いスピードで停まることがない。
おっさんも真似てパソコンラックを同じスピードで叩いてみた。
一分越えた頃から指がギクシャクと重くなりうまく動かなくなり、二分持たずに指がつってしまった。
ピアニストは、こんなことを二時間近くもやっているのだと思うと感心してしまう。
指立て伏せ100回位やってしまうのではないだろうか、とさえ思ってしまう。
盤上の格闘家 辻井伸行さん、優勝おめでとうございます。
1992年、インド、ボンベイ(今はムンバイ)
おっさんはギターを持って旅をしていた。ギターがうまいわけではないが、このギターのお陰で
たくさんの出会いがあったように思う。
詳細は、『作品集』中の「ジョンレノンのギター」を読んで下さい。
6月9日
おっさんです。
来訪者が来ないジンクスをぼやいていたら、とうとう来てくれましたね。
6日には、2人。 7日には、5人。 8日には、4人も来てくれたのだ。
どうもありがとうございます。
でも誰からも、おっさんの生写真が欲しいと言うメールはありませんね。
当然か?!
久しぶりにフィリピンのたびの続きを書きます。
トニーの家を出て、バスとボートを乗り継いで意外なほどあっさりとボラカイ島に着いた。
いっしょに乗った数人の客は、もう宿が決まっているのかスタスタと先に消えて行った。
船を最後に下りると、そこは楽園の香りを漂わせる真っ白な砂浜と青い海が広がっていた。
俺は、トニーから渡された手紙と地図を頼りに『6C PLACE』と言う宿に向かった。
そんなに歩いてもいないのに、なぜか目がチカチカとして、軽いめまいのようなものを感じた。
近くにあった店の椅子に座りコーラを頼んだ。
どうしたんだろう。しばらく目を閉じて正常に戻るのを待つことにした。
木陰の涼風に吹かれていると、それが何なのかが分かってきた。
この島は、すべてが白すぎていたのだ。
砂浜は、一面の真っ白、その砂やさんご礁を砕いて出来た道も真っ白、所々にある店や宿の
レストランさえも砂で敷き詰められていて真っ白だったのだ。
建物や木々意外は真っ白だった。
あまりに白い世界に俺はホワイトアウトを起こしていたことに気付いた。
大きく溜息をついて、空を見上げると抜けるような青空がまた眩しかった。
『6C PLACE』は、大きなレストランの隣に奥まって建っていた。
宿の奥さんにトニーからの手紙を見せると、宿の主人が出てきた。
彼は、笑顔と同時に右手を差し出すと、嬉しそうに部屋を案内して言った。
「トニーの知り合いなら、ファミリーと同じだ。」
俺の肩を叩くと、彼は出て行った。
彼の言葉の意味は、すぐに分かった。
荷物を出して、ベッドに倒れこむとすぐに彼が呼びに来た。
彼の後を着いて行くと、そこは家族の食堂だった。
テーブルの上には3皿のおかず、真ん中にご飯が盛られ、人数分の皿とスプーンが用意されていた。
彼は、続々と集まってくる家族をひとりひとり俺に紹介して、俺を家族に紹介した。
俺は、ぎこちなく笑顔を振りまいていた。
俺の席は決まっていて、家族の食事の中に俺も含まれていた。
どんな食事だったのか忘れてしまったが、居心地の良くなかったのは、数分間だけで
訳の分からない言葉が行き交う中、乱暴に盛られる皿のご飯をいっしょに食べたのだ。
別に、何をしたわけでもないのに、すぐにその空気に俺は馴染んでいった。
その家族には4人の息子がいた。
今となっては名前も覚えていないのだが、長男を『ブラザー』、次男を『ミドルブラザー』
三男を『リトルブラザー』、4男を『スモールブラザー』と呼んだ。
長男ですら17,8歳だったと思う。
彼らは、その俺が付けた呼び名を気に入ったらしく、暇を見つけては俺の部屋に入り浸った。
1988年、フィリピン、ボラカイ島、6C-PLACE
食事風景。おっさんの顔は半分だ。
6月6日
おっさんです。
やっぱり、おっさんが書き込んだ日は誰も来ないようですね。
今日はちょっと、そんな愚痴を言ってみたかっただけです。
でも、今書いているって事は、今日も来訪者が無いって事なのか?
消してしまおうかなんて思ったりして、、、。
では、夜が明けてきそうなので(ネットサーフィンしてました)おやすみなさい。
6月5日
おっさんです。
このサイトを始めてから、決まっていることがある。
おっさんが、書き込みをした日は必ずと言っていいほど来訪者がない。
案の定、昨日も来訪者ゼロだった。
いつかは、毎日数万の人が見に来てくれることを夢見て書き込んでいこう。
昨日は、中国天安門事件から20年過ぎたと言うニュースが流れていた。
88年に中国へ入り、他国を廻って89年に再び中国に入った。
おっさん達が他国を廻っている時にその天安門事件は起きていた。
旅人の間では、中国批判がほとんどで何千人の若者が死んでしまったと言う話で持ちきりだった。
政府発表では確か300人位だったのだが、それを信じる人はいなかった。
おっさん達が旅した頃は、正確ではないが中国が開放されて3年目位だったと思う。
つまり、その3年前までは、鎖国状態だったと言うことだ。
3年の月日の中で、中国の若者達はおっさん達のような自由主義国の旅人や旅行者を見て、
自分達との暮らしの違いを感じていたのかもしれない。
その事件の発端にはそんな事も隠れているような気がしてならなかった。
若者は、どこの国でも自由が好きだ。
未熟なだけに希望も大きい。だから行動にでるのは理解にたやすい。
それは、とても良いことなのだと思っている。
しかし、その結果があの惨状だと悲しくなってしまう。
そんな事もあって、現在中国は自由経済を果たし、自由主義国の思想を取り入れ始めている。
あの時死んでしまった若者達は、今の中国をどう思っているのだろうか?
当時、世界のマスコミはその事件のことで中国政府を凄い非難した。
そのせいだろうか、二度目に入った中国が変わっていた。
政府からどんな指令が出ていたのかは知らないが、ホテルの服務員、店の店員、駅のチケット売り場、
いたる所の人々の態度が、以前よりも親切で、柔らかいものになっていた。
おっさん達は『天安門効果』だと、かってに呼んでいたのだが、意味のないような死を遂げてしまった
若者達のもたらしたひとつの証だったと、おっさんは勝手に思っていた。
はるか20年前の未来を夢見た若者達の冥福を祈りたい。
88年、中国雲南省昆明 (天安門広場ではない。)
まだ、付き合う前のおっさんととど。
翌日はバンコクへ行くために、タイでは髭面はもてないと聞き髭をそったおっさんだ。
昨日書き込みをしながら、思い出したことがある。
俺は雨が好きだと書いた時のことだ。
マレーシアのペナン島に着いた時はものすごい雨が降っていた。
勧められていた宿は、満室で近所の宿も満室だった。
どうしても、日が暮れるまでに宿を探しておきたかった。
おっさんは、とどを置いて宿探しのため、雨の中を走り回ったのだ。
大雨の中を走り始めると、濡れれば濡れるほどに訳の分からないパッションが湧いてきた。
『飯店』、『旅社』、『ホテル』、そんな看板を見つけては、そこに飛び込む。
断られれば、断られるほどに走る足が早くなっていく。
すでにびしょ濡れだ。大きな雨粒がやけに気持ちよくなりだしてくる。
屋台や店屋、人や人力車を避けながら、俺は走る。
いつの間にか、俺は、映画『ロッキー』のテーマを口ずさんでいた。
ロッキーのトレーニングで走る町並みを頭に浮かべながら俺はさらに早く走る。
宿を見つけ、嬉しそうに走って戻った俺が、今来た道を振り返り、両手を高く上げた。
『ロッキー』を見た人なら分かるだろうか。
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=219458
探してみたらありましたので、興味のある方は見てみてください。
ただ、俺の中には雨の中で走っているシーンもあったように思っていたのだが、、、。
でも、今見ても、あまりに殺風景で雑然とした風景に感動してしまうのだ。
話は戻るが、その高揚して戻ってきた俺を迎えたとどは、移動のため疲れきっていて、
俺の行動に目もくれなかったことを付け加えておく。
6月4日
メールが未だに来ないおっさんです。
だんだんと暑い日が続き始めました。
おっさんの苦手なシーズンが始まりだしましたね。
そう、おっさんはアジアが好きなくせに、夏が嫌いなのだ。
夏が嫌いと言うよりも、汗っかきにおっさんは、汗だくの自分が嫌いなのだ。
営業の仕事をしているおっさんは、仕事が終わる頃には全身びしょぬれになってしまうのだ。
当然汗臭くもあり、自分でも辟易してしまうのだ。
だからと言って、夏バテをしたり、食欲が落ちるようなことがないのがさすがだよね。
季節がら雨が多くなってきた。それも、最近の雨はスコールのようにどしゃ降りだ。
先日、あまりのどしゃ降りにベランダに出て、大粒の雨を見ていた。
大雨の好きなおっさんは、『うひょー、すごいすごい』と言って喜んでいると、娘がやってきた。
「東南アジアのスコールは、凄いんだよ。大雨がゆらゆらとカーテンが迫ってくるように
やってくるのが分かるんだ。
それを見つけると、『わっー』って叫びながら逃げるんだけど、意外に遅かったりするから
逃げれたりするんだけど、お母さんは足が遅くてね。手を引っ張って天から逃げているんだけど、
お父さんは逃げれるのに、お母さんは雨にやられてしまったりすることがあるんだ。
ようやく、バンガローの軒下に逃げ込んで一息つくんだけど、よく見ると、雨に濡れている
お母さんよりもお父さんの方がびしょぬれに濡れているんだ。なぜでしょう?」
娘は、くびをひねるばかりなのだ。
「答えは、汗だ。」
必死に走ったおっさんは、雨に濡れた妻よりも汗だくになってしまっていたのだ。
娘が言う。
「それならば、雨に濡れた方が気持ちいいじゃん。汗臭くないし。」
その通りだ。あんたが正解!
インドネシアの赤道に行くちょっと前、ブキットラワンというスマトラ島の村にいた。
オランウータンの野生国立公園のある場所で、山肌に沿う形で宿が出来ていた。
俺達は、その宿で一番高い場所にある『モンキーハウス』と呼ばれるバンガローに陣取った。
結構、高い場所でベランダに出ると、村が見渡せた。
夕方になると決まって大雨とともに雷が乱舞するのだ。
その雷の数や音は半端ではない。何千何万という数になるだろう。
その大雨と雷の共演をモンキーハウスのベランダから見るのが好きだった。
漆黒の空に黄金色の閃光が縦横無尽に駆け巡り、この世とは思えないような
恐ろしくもあり、美しくもある光景が、約一時間続くのだ。
俺は、本当にその光景が好きだった。
雨が上がると、モンキーハウスは、こうもりの里になる。
高く突き出したバンガローの廻りをコウモリが超音波のような声をたてて廻りだす。
ベランダに座る俺達の顔先をものすごいスピードで飛び回る。
『キャー』と叫んでとどが部屋へ逃げ込むと、素晴らしいショーの終焉となるのだった。
とどは、嫌がったが俺はそのモンキーハウスがとても好きだった。
大雨や台風が来ると、その光景を鮮明に思い出す。
今思い返しても、ナンバーワンの宿だった。
俺にとっては、、、。
雨季の空。
モンキーハウスの写真も紛失してしまったようだ。
5月28日
おっさんです。
おっさんの無駄な数時間は、このような会話から始まった。
とど(妻)「私へのコメントは、『おっさんメール』から入れたら、どこに入ってるの?」
おっさん「パソコンのメールに入ってくるよ。試してごらん。」
もちろん、とどが試すことはなく、おっさんが試して「なっ!」と、自慢するところだったのだが。
現実は、そうならなかった。
『おっさんメール』から書き込んだものが、いくら書き込んでもメールに届かないのだ。
「あれ、おかしいなあ。」
なんて独り言を言っているうちにとどはパソコン部屋からいなくなった。
ひょっとしたら、元の設定から違っているのではないか?
おっさんの拙い知識でパソコンをいじり回すが、解決できない。
ああでもない、こうでもないとさんざんやっていると、頭がヒートしてきた。
「ひょっとしたら、読者の人達もメールしてくれていたんじゃないの?」
とどの言葉に、おっさんはハッとして解決策を考えては試して失敗した。
「そうだな、最近更新もしていなかったし、『お詫びのコメント』でも入れなきゃなぁ」
そう言いながらも、パソコンを消して夕食になった。
「たくさんの人が今までにメールしてくれたかもしれないのにね」
娘の花が言う。
「そうなんだよ。俺のサイトがこんなに人気がない訳ないもんなあ、返事してくれないおっさんに
いらいらして見に来なくなってしまった人もいるかもなあ。」
おっさんは、そんな風に思っていた。
明日から、初めての中間テストが始まる花は、あっという間に机に向かい、あっという間に机の上で
よだれをたらして寝てしまった。
おっさんも、だらだらと横になり解決策を考えながら、ちょっとよだれをたらして寝てしまった。
まだ眠たいのを無理やり起きてパソコンへ向かうと、起動するや否や着信音が響いた。
メールを開けてみると、さっきまで送信し続けていた『おっさんメール』からの着信が届いていた。
それも、5件もだ。
そうするとだ。『おっさんメール』を送信して、家のパソコンに届くのにかなりの時間が
かかっただけのことなのである。
おっさんは、独り言を言った。
「あー、壊れてなくてよかった。大丈夫だったんじゃないか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん? じゃあ、やっぱり誰からもメールは無かったって事か、、、」
とぼとぼと、部屋を出てとどに報告しようと思ったら、すでに夢の中だった。
おっさんは、寝ているとどに向かって言うのだった。
「なっ!パソコンのメールに届くだろう。」と。
1989年マニラ湾の夕陽。
マニラ湾の夕陽は綺麗だと聞いていた。
確かにその後の夕焼けはとても綺麗だったのだが、その日は何があったのか
海の上は軍艦だらけで情緒的に浸れないものがあった。
5月19日
おっさんです。
誰からも来ないメールに1000人達成お祝いキャンペーンは沈んでいます。
そんな中、嬉しいニュースがありました。
スリランカの内戦終結のニュースです。
おっさんがかつて旅行を始めた頃から、スリランカはずっと内戦状態でした。
民族紛争。血の出が違うだけで、同国民が殺し合う長く、悲惨な戦闘。
かつて、セイロンと呼ばれ、紅茶で有名なその国の戦士が闘いに向かう列車に同乗した
旅の友人夫婦Aさんから聞いた話です。
本当に本当に子供のような戦士達が無邪気な顔で銃を持っていた。
戦地が近づくにつれ、彼らは緊張し、不安を表情と仕草で表していた。
そんな中で、誰かが歌い始めた歌がみんなに広がっていった。
ボブマーリー『バッファローソルジャー』がその歌だったそうなのだ。
彼らがどんな気持ちで、その歌を歌ったのか?
「多分、みんな死んでしまうよ。そんなこと知っているのかどうか、、、」
Aさんの悲しげな顔が今でも浮かんでくる。
「駅に着いて、彼らは降りて行ったんだよねえ。その後姿がなんともねえ。」
Aさんは、それ以上何も言わなかった。
きっと彼らのほとんどは死んでしまったのだろう。
しかし、その長い長い戦闘が今日終わったのだ。
スリランカに平和が訪れ、自由に旅が出来るようになることを心から祈りたい。
5月15日
おっさんです。
1000人目の来訪者は誰なのかと、気にやんでは見たのだがメールもなく、それどころか
来訪者もなく、結局999人目と1000人目はおっさんでした。
「あんたが変なこと書くから誰も来なかったのよ」と妻の声が聞こえるようだ。
そうして今見たら、なぞの来訪者が2人来ている。
誰だ?メールをくれ!
フィリピンの話の続きを書こうかと、ネットでボラカイ島を見てみると、何とも凄いリゾートに
なっているではないか。
おっさんの頃(1988年)は、ホワイトビーチすらものんびりしている雰囲気であったのだが、
今や島全体が大変なリゾートになっているではないか。
同じようなことがタイのパンガン島でもあった。
ジャンキーやばか者共がフルムーンパーティーを秘かに楽しんでいると知らされ出かけた
パンガン島は、閑散と並ぶバンガローとレストラン、バンガローの裏手はすぐにジャングルの様相で
1mくらいのトカゲはあたりまえのように蠢いていた。
一年後に、そこに行くとちょっとしたショッピングストリートが出来ていて、ハドリンビーチ側は
バンガローとレストランで埋まっていた。
三年後に、行った時には、すでに立派なリゾート地になっていた。
船か徒歩でした来れなかった筈のハドリンビーチまでも車が通り、レンタルバイクで島一周
出来るようになっていた。
いつの間にか、ポリスステーションまで出来ていて、いかがわしさと自由を掲げ旅する者は、姿を
消していた。
真夜中、ランプの灯かりを手にビーチに集まってきたバカ共の聖地がリゾートに変った。
1988年 コパンガン ハドリンビーチ
はじめてコパンガン(パンガン島)に行った時、小さな雑貨屋で買った小さな懐中電灯が1日で
壊れてしまった。
「取り替えろ!」と出かけた雑貨屋の前で店のおばさんと闘っていると、とりなしてくれたおじさんが
いた。そのおじさんが「数年後に、ここに大きなホテルを作るんだ」嬉しそうに言った。
「今のままが好きなんだけど、、、」俺の言葉には笑顔をくれただけだったが、現実となった。
もちろん、行く度にコパンガンは様相をかえていたが、俺達はそれなりにその地を楽しんで去っていく。
でも、なんだかいつも、寂しい気持ちが残ってしまうのは仕方のないことだよね。
前回のおっさんの写真の原本。こんな素敵な子だったのです。
5月12日
なかなか連休気分が抜けないおっさんです。
いつも書こうと思って忘れてしまうので、書いておきます。
この所、わずかではありますが、このサイトにも読者が増えてきているようです。
もちろん、訪問者のいない日もまだまだありますが、3人、5人、最高では7人の日までありました。
芸能人達や人気サイト・ブログなどに比べれば、屁のような来訪者数ではあるのですが、
その度に、おっさんちの話題になるのが、誰が見ているのだろう?と言うことです。
ひょっとして、わが娘が誰も来ないサイトに気を遣って、学校のパソコンを使って来訪者数を
増やしてくれているのではないかとさえ話題になったりします。
どうか、一言でもコメントなりを最下の「おっさんへメール」に御願いできれば嬉しいです。
このサイトを始めてから、かれこれ長くなってきました。
もうじき、来訪者の数が1000になりそうです。(ほとんどがおっさんなのですが、、、)
そこで、1000人達成祝いキャンペーンで、希望者にはなんと!
ジャジャジャジャジャーン!
おっさんの生写真をメールにて添付してもらおうキャンペーンを実施いたします。
どしどしメールしてください。
そんなもの欲しい人がいるか?
そんな言葉を無視して、強引に進行していきます。
おっさんのへその写真が欲しい!
おっさんのハゲの写真が欲しい!
おっさんの乳首の周りの毛の写真が欲しい!
法律に触れない限り、皆様の希望には極力添って生きたいと思っています。
どんどん、メールしてください、よろしくね。
オリエンタルな少女の殻をかぶったおっさん
どうも、おふざけが過ぎたようで、、、。
5月7日
おっさんです。
ゴールデンウィークはウダウダと過ぎ去った。
珍しく、ゴールデンウィークは4連休した。
例年なら、海に行ったり、祭りに出かけたりするのだが、中学に入った娘のリクエストは、
今までと違ったものだった。
確かに中学に入ってからの娘は、小学生の頃ののんびりムードが一変して、
部活のせいや膨れ上がった友人との付き合いで、活発的になってきていた。
『どこにも行かずに、のんびりと家の中で親子三人で遊んでいたい』
それが、娘のリクエストだった。
十年以上も使ったアイロンが壊れたこともあって、アイロンのついでにこどもの日のプレゼント
それと回転寿司それだけが、連休の予定になった。
昼近くまで寝て、撮りためていたビデオを見て、夜になると近くの祭りの花火をベランダから見た。
ほとんど敷きっ放しの布団の上では、画板を持ち出して、その上で漫画を書く娘。
その横で、娘のしりを触っては怒られながら、くだらない話をするおっさん。
テーブルでは、そのために買ってきたお絵かきロジックをしこしことやる奥さん。
まったりと時間は過ぎていった。
連休の最終日のには、以前に買ってあった「ヘキサゴンの問題本」を娘が読み上げ、
おっさんと奥さんが解く。
それを娘が採点そして、結果を発表する。
おっさんは、三連敗で奥さんに軍配が上がる。
そんなことが、娘にはとても楽しかったらしく、満足気に連休は終わりになった。
子供の日のプレゼントで大量に買った漫画を読みながら力尽きて娘は眠りについた。
今日、目を覚ますとすでに娘は学校へと出かけて行った後だった。
ほとんど何もしないゴールデンウィークだった。
でも、こんなもの良いかも知れないと思った。
仲良しのよく似た親子なのだ。(娘の要望により顔を隠しました)
5月2日
また、しばらくサボってしまったおっさんです。
実は、先日書き込みした日は、結婚記念日だったんですよ。
おっさんも『とどの部屋』を見るまで気付かずにいたのですが。
何でだろうね、男ってそんなこと覚えられないって言うか、覚えておこうなんてことは
毎回思っているんだけどね。忘れちゃうんだから不思議だよね。
「今、君といることだけが、大切なんだよ」なんて臭いことは言えないから
来年こそは、ちゃんと覚えておこう。
サボっている間、結膜炎にかかっていました。
それも左目だけ。
やけに目やにが出ることと、充血しているんだが片目だけって言うのもおかしいので、
目薬を買ってごまかしていたんだけど、なかなか治らないので病院に行ったのだ。
今の眼科はすごい近代的なのに驚いた。
広いフロアーには、ロビーのような待合室があり、簡単な仕切りがあって沢山の機器が並んでいた。
看護婦さんの衣装もあのなまめかしい白衣ではなく、赤いシャツに黒いズボンだった。
次から次へとやってくる患者を問診しながら、視力検査や視筋力の検査などを様々な機械を
使って行っていた。
衣装と雰囲気のせいか、病院と言うよりも機械を使って遊んでいるように見えもする。
病院の個性でもあるのだろうが、ニコニコしている看護婦さんのせいでもあるのだろうが、
楽しそうにも見えて、病院もテーマパークになりえるんだなあと思ってしまった。
その中で目を真っ赤にしたおっさんは、伝染を配慮され、一番奥の隅に座らされて待たされた。
そこが看護婦さん達の更衣室兼休憩室のドアの真ん前で、沢山いる看護婦さんが俺の前を
何度も行き過ぎる。
その度に俺に向かって、笑顔や声を掛けてくれるのだが、その度にお互いに挨拶代わりの
お辞儀としてちょこっと首をたてにふるのだ。
始めの頃はよかったのだが、だんだんとその行為が苦痛になってきた。
一時間以上待たされている間に、おっさんは鞭打ちになるんじゃないかと思うくらいの
お辞儀をしていたのだ。
遅ればせながらそうだ、『眠っている振りをすれば』なんて作戦を使おうと目を閉じた時、
ふいに思い出した。
以前、インドのケララ州のトリバンドラムでメガネを作ったことがあった。
本当にいい加減な検査の上、出来たメガネが、立派だったことを思い出した。
今だから、メガネも安くなってきたが、当時は何万円もしたものだ。
それが、インドでは1000円くらいだったと思う。それも偏光レンズを使ってだ。
ネパールトレッキングではこの偏光レンズが威力を発揮したもんだ。
今見ると、人間も含めて品のないメガネではあるが、俺は異常に気に入っていた。
宿のインド人も旅行者もみんな絶賛してくれたこのメガネ。俺の自慢だった。
メガネ屋の場所まで聞いてくる奴までいたのだが。
ただ、国籍はどうであれ女の人には不評だった。嫌悪感さえ言う人もいた。
この辺のセンスが男と女では違うのかもしれない。
えっ!何が言いたいのかって?
つまりは、遠まわしに結婚記念日が覚えられないのは、その辺のセンスの違いではないか。
そんな事なんですけど。言い訳になってないようだよね。
長く待たされたあげく1分の診察。
そして、五日後の今日再診察。
長く待たされたあげく1分の診察。
治っていますね。
その言葉を医者から聞くまでの間、俺の頭の中では、俺がインドを彷徨っていたなんて誰も
思いもしなかっただろう。
しかし、白内障や緑内障などの診察を受けに来ていた老人達は、ひょっとしたらとんでもない
所を旅していたのかも知れないと、不意に思った。
それが楽しいものだったら、なおいいよね。
4月21日
おっさんです。
中学に入った娘が、なんとあの運動嫌いの出不精の娘が、
どういう訳か硬式テニス部に入ることになった。
それも、楽しそうにしていることにそれ以上に驚いているのだ。
人間どんな風に変るのか分からないものだ。
いつか、ウィンブルドンのコートに立つ日が来るのだろうか?
AKLANに着くと、もうすでにトニーのペースだった。
俺は、ただトニーの後をついていくだけになっていた。
トニーの仕事場に直行すると、トラックへのバナナの積作業を手伝わされた。
2時間くらいだっただろうか、現地の人達と訳のわからない会話をしながら汗を流すことは
俺にとっては、楽しくエキセントリックな経験でもあったのだ。
そんなに働かせるつもりは無かったのだろう、戻ってきたトニーが汗だくになっている俺を見て
驚き、そして嬉しそうに俺の肩をたたいた。
トニーの家に着くと、奥さんと子供達がいっせいに玄関に集まった。
全員を紹介されると、奥さんは、すぐに汗だくの俺をシャワールームへ案内した。
シャワーから戻って、ソファーに座ると、すでにソファーの上でトニーが眠っていた。
やることのなくなった俺がフィリピンの地図を広げていると、長男のリチャードが横に座って
俺の行動を見つめていた。
「俺は明日ボラカイに行くんだ。行ったことあるかい?」
俺の質問に彼はただうなずいた。
「どんな所だ?」
その質問にも「good」とだけ答えて恥ずかしそうに奥へとママを呼びに行った。
ママは、学校の数学の先生でそのためか、俺よりもはるかに上手な英語をしゃべった。
ボラカイへの行き方を丁寧に俺に教えると、ママはリチャードにバスターミナルへ
案内するように言いつけた。
バスケットボールを持って時々ドリブルをしながら、リチャードは歩いていた。
俺はその後ろをのんびりと歩きながら、トニーの町を見渡していた。
高級住宅地なのだろう、立派な家々が並んでいた。
時折出会うリチャードの仲間達にリチャードは俺を紹介してくれた。
リチャードは日本で言う中学一年生くらいだったと思う。
つまり、俺は道を歩きながら中学生と握手をしていたわけだ。
今思い返すと、変な風景だ。
髭面の25歳の強面なおっさんが、中学生と次々と握手をしながら道を歩いているのだから。
10分も歩くと、立派な市庁舎があり、その脇にバスターミナルがあった。
そこで初めて俺は、ここがKALIBOと言う町だと知ったのだ。
時刻表と値段をチェックすると、リチャードは友人達とバスケットをしていた。
市庁舎の駐車場にバスケットコートがあったのだ。
何気に俺も参加すると、俺はスーパースターだった。
バスケットの経験はあったし、相手は中学生でまず体格が違った。
『マジックジョンソン』 『ジャバー』 『ラリーバード』
米プロバスケットのスーパースターの名前は彼らも知っていた。
俺は、それを叫びながら、シュートを打った。
必死に絡んでくる中学生相手に俺は、次々とシュートを決めていった。
いつしか俺は『ジャバー』と呼ばれていた。
熱中して遊んでいると、日が暮れてきた。
すでに仲良くなった中坊達に別れを告げると、リチャードはすでに自慢げだった。
家に戻ると、ママはすぐにシャワールームに行くように汗だくの俺達をしかった。
逃げるように走り出したリチャードの後を俺は追いかけた。
リチャードとおっさん
4月18日
おっさんです。
娘がだんだんと大人になってくると、何だかつまらなさを感じてしまう今日この頃です。
そろそろ、フィリピンの話を続けましょうか。
マニラからフェリーに乗って、パナイ島のAKLANへ向かった。
いろんな所を旅して、いろんなビーチに行くたびに仲良くなった旅の達人達が決まって
「フィリピンに行ったら行くんだぞ!」と言われていたところがあったのだ。
ボラカイ島だ。
俺はそこへ向かっていた。
乗り込んだフェリーは、日本からの払い下げのようで、『非常口』、『二等客室』『立入禁止』
などの日本語がそのままあちこちの壁に模様のように残っていた。
確か俺は一番安いクラスのチケットを買ったのだが、そこは部屋ではなかった。
甲板だった。
かろうじて屋根だけはあるが、それだけだ。
柱と梁を利用して、無数のハンモックが吊るされていて、俺はそのひとつをかろうじて
確保することが出来た。
乗船が終わり、船が動き出す頃には、ハンモックの下もずらっと人で埋め尽くされ、
ハンモックから降りることさえ困難なくらいになっていた。
それでも俺は、その新しい体験に興奮し、周りの人達の行動を観察したり、本を読んだりしながら
楽しんでいたのだが、暗くなった頃俺のハンモックの近くでけんかが起きた。
それは、すぐに治まったのだが、その興奮からか周りのフィリピン人に声をかけられ、
そのために俺が日本人だと言うことがばれてしまったのだ。
俺は、フィリピンでは普通にしていればフィリピン人になりすます事が出来ていたのだが、、、。
俺が日本人だと分かると、すぐに俺の周りはにぎやかになり始めた。
名前だとか年だとか、家族構成だとか職業だとか、どこに住んでいるだとかどこに行くのだとか
同じ質問が次から次へと止まることなく襲い掛かってきた。
そんな中にトニーがいたのだ。
俺の隣のハンモックの男と知り合いだったらしいトニーは、通りがかりに友人と話しているうちに
質問攻めにあって困っている俺を見つけたのだった。
簡単な英語を話せるトニーは、みんなの通訳をしてしばらくは俺と話していたのだが、
止まない質問に嫌気をさしたトニーは俺を自分の部屋へと案内してくれた。
そこは、二段ベッドが四台置かれた8人部屋だった。
さすがに甲板の人達とは違って良い身なりの人達がそこにはいた。
トニーは、ひとつのベッドの上段を指差して、そこに寝ろと合図した。
よく見ると、この部屋には俺を含めても6人しかいなかった。
「内緒だぞ」トニーの言葉に俺がうなずくと周りの4人も笑顔をくれた。
その部屋の居心地は快適で、不躾な質問や詮索も無く、食べ物とビールまでもがふるまわれた。
「あんな所にいたら、泥棒にあっていたぞ。」
トニーはそう俺に言うと、周りの4人も真剣にうなずいていた。
バナナの貿易をしているトニーは、マニラに荷を下ろした帰りだった。
どこか悪そうで、乱暴そうで、面白そうなトニーを俺はそれでも警戒していた。
「今回は儲かったから、明日はご馳走してやる。家に来い。」
だから俺は、酔っ払っていくうちに、声が大きくなり、よく笑い、よくしゃべり、よく叩く、
そのトニーの言葉を信じていなかった。
しかし翌日、俺はトニーの家族に囲まれて夕食を食べていた。
トニーのファミリー 真ん中がトニー
左端は、お手伝いさん。もう一人写真を撮っている長男がいるがそれは次回に、、、。
4月13日
娘が中学生になると、だんだんと大人の雰囲気がしてきて何だか寂しいおっさんです。
最近では、タイが大きく動いているようで非常事態宣言などが出たりして、
タイ好きのおっさんには、悲しい思いがします。
以前書いたかもしれませんが、クーデターのようなことはタイでは頻繁に起きています。
おっさんも一度遭遇?しているのです。
アユタヤで遊んで、突然思い立ってコサメット(サメット島)に行こうと思ったのだ。
あれ!コサメットで遊んでいて、アユタヤに行ったのだったかな?
まあ、どちらにしても、途中どうしてもバンコクに寄った方が交通の便が良くて、
バンコク経由で行動したわけなのですが、その行動をしてバンコクの町をバスターミナルから
バスターミナルへと移動している時に、貧乏旅行者のメッカ、カオサン近くで
大きな暴動があり、戦車まで出てきて多数の死傷者を出していたのでした。
思い起こせば確かに、いつものバンコクの景色とは違い、人通りも少ない上に
ほとんどの店がシャッターや鉄柵で頑丈に閉められていました。
のん気なおっさんととどは、それでも何かの日に当たっていて休日になっているものだと
勝手に思ってカオサンからそんなに遠くも無い場所をへらへらと歩いていたのでした。
そのことが分かったのが、次の場所で宿の入ってからのこと。
テレビの前で騒いでいる人達を見てからでした。
テレビの画面では、カオサン近くのモニュメントに弾痕が映し出されており、
真剣に話すレポーターの顔がありました。
旅行者も何人か亡くなったとのことで、何も知らない自分達に驚いたものでした。
バンコクの川を走るおっさんととど。
バンコクの写真もなくなっていて、こんな写真で勘弁してね。
そう言えば、何年か前、イラクだったかアフガニスタンだったか、遊び半分で入国した男が誘拐された
事件があり、『自己責任』と言う言葉がマスコミの中で飛び交っていたことがありました。
あの頃の報道は、おっさんにはとても痛かった。
全ての国民が「危険なのを知って行ったのだから、自己責任だ。助ける必要はない」
とでも言っているかのような報道に驚きました。
旅人であれ、何であれ、自分の命に責任を待つのは成人として、当たり前のことです。
しかし、そのような状況になってしまった人を見殺しにしてもいいような報道には驚きました。
もし、あの時おっさんが、あの辺りを旅していたならば、行けるようだったら行ってみたいと
思っただろうことは容易く考えられます。
そう思った時、それらの報道は他人事ではありませんでした。
『自己責任論』はいまだに使われています。
派遣切りの派遣の皆様へ。
貸し渋りされている中小企業の社長達へ。
病院から締め出される病人の皆様へ。
平凡に暮らしている国民の皆様へ。
何だか変な方向に話が進みだしてしまったので、この辺にしておきます。
おっさんは、クーデターを企んでいるわけではありません。
ちょっと、このところの政治に少しばかり、がっかりしているのでした。
真面目な話になってしまいましたが、たまにはいいですよね。
4月10日
久しぶりのおっさんです。
今回また、長いインターバルでした、すいません。
一人娘の卒業式や中学入学式、その間にとどの実家へ母子は旅立ち、
久しぶりのおっさん一人暮らしが5日間ありました。
そう、昨日までは何だか非日常のような生活感があって、
ずいぶんとペースが乱されてしまった気がして落ち着かなかったと言えば
言い訳は成立したでしょうか?
おっさんは、その間にも実は作品を投稿したのでした。
今回は『ヤングジャンプ』の漫画の原作でした。
いつものように締め切り間じかに徹夜をして書くというパターン。
書くうちに自分の内的世界だけで感動的な出来事が完成されて行き出来た作品は
最高のもののはずだったのですが、一夜明けてみると、なんと言う駄作。
がっかり。
それでも、一応はと出してみましたが、、、、、。
でも、内容的にはとても好きな作品なので、ちゃんと手直しをして堂々とした
よい作品に仕上げて生きたいと思っています。
今月の目標は、『ファンタジー小説』なのだが、このジャンルがおっさんにとっては
まるで分からない分野なのだ。
しかし、おっさんの目標は売れっ子作家になることにしたのだから、好き嫌いは余り言わずに
頑張ってみようと思っているが、未だにアイディアが湧いてこないでいるのだ。
そう言えば、この前大変な話を新聞で見た。
サッカーワールドカップ南米予選アルゼンチンvsボリビアの試合のことだ。
試合結果から言うと1−6なんと勝ったのはボリビアだったのだ。
世界ランキング74位のボリビアがなぜ強豪アルゼンチンに大勝したか?
その理由が凄すぎて絶句した。
ボリビアの首都ラパスで行われた試合なのだが、その標高が3600m。
この過酷過ぎる環境の中で試合が行われたのだ。
一般的に2500mを越える頃から、高山病はおこります。
あまりの酸素量の少なさに、早歩きすることさえ難しい状態になるはずの場所での試合。
余りにも過酷過ぎるではないか。
日本が、中近東の砂漠地帯の環境での試合で難儀してることは周知の事実。
しかし、それがまだまだ甘いとでも言えそうな3600mでの試合。
まさにありえない話に、感動さえ覚えてしまいました。
でも、よく考えてみたら、これもひとつのスポーツファンタジーかも知れない。
4月に入ったので、前回までの分は「アーカイブ」に分けておきました。
旅の話は、次回にでも、、、。
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